デス・オーバチュア
第163話(エピローグ3)「新しき日常〜暁より来るモノ〜」



例えるなら新学期。
居るはずの者が居なくなり、居なかった者が新たに加わる。
寂しさ、違和感があったとしても、やがては慣れる。
そして、新たな日常が続いていくのだ。



ホワイトでの異変が片づいてから早一ヶ月。
タナトスは新たらしい自分の環境にまだ慣れることが、受け入れることができずにいた。
アンベルはもう居ない。
ルーファスの双子の兄にして、魔界の闇皇、魔眼皇ファージアスにかどわかされたのだ。
アンベルと共に過ごした時間は一ヶ月にも満たない。
にも関わらず、彼女が居ないことに寂しさや違和感を感じずにはいられなかった。
それに何よりも彼女の身が心配なのである。
ファージアスについては、ほんの少し見た程度だが、その圧倒的な強さ、傲慢さ……唯我独尊ぶりは目に焼き付いていた。
いや、例え見ていなかったとしても、ルーファスの兄という時点で強さも性格の悪さも確定していようなものである。
タナトスはこの『偏見』にだけは絶対的な自信があった。
ファージアスといえば、その妻……第一皇妃であるリンネ・インフィニティもクリアには……地上にはもう居ない。
地上に飽きたのか、流石に夫のことが気になるのか、タナトスに一言挨拶……アンベルの様子も見てくることを約束してくれた後、去っていった。
その代わりというわけではないが、新たに加わった者達もいる。
魔王達だ。
雪の魔王フィノーラとその従者であるオーバラインはエンジェリック家の屋敷に、剣の魔王ゼノンはルーファスの仕事場とも言うべき山小屋に滞在し続けている。
それと……。
「何か暗いよ、アンベルお姉ちゃんのご主人様〜。気晴らしにボクと一緒に泳ぐ〜?」
ソファーの上に横になっていたタナトスの顔を、体にジャストフィットした紺色の水着を着た少女が覗いていた。
天使魚(エンゼルフィッシュ)のヒレのようなもみあげが特徴的な少女、アズラインである。
彼女の今着ている水着(泳ぐための服)は、確か、クロスが、旧スクだか、スクール水着だかと呼んでいた。
もっとも、水着の種類以前に、タナトスには水着だとか海水浴だとかいうモノ、単語すらピンと来ない。
海水浴などという習慣や水着という泳ぐための服などが発達と普及しているのは海洋国家であるブルーだけのことだった。
「……いや、結構だ……」
「あ、お姉ちゃん、泳げないんだったけ?」
アズラインはタナトスのことを、アンベルお姉ちゃんのご主人様、または、ただ単にお姉ちゃんと呼ぶ。
アズラインは他人のことを基本的に、男ならお兄ちゃん、女ならお姉ちゃんと呼ぶのだ。
そういった所が、アンベルやクロスに言わせると『媚びている』ということらしいのだが、タナトスにはよく解らない。
「泳げないのではない、泳ぐ必要がなかっただけだ……」
「結果的には同じじゃ……それならなおさら練習した方がいいと思うよ。それに、水の上にぷかぷか浮いてるだけでも充分に気持ちいいよ〜♪」
「……そうか……だが、私は……」
「そう言わずに泳ごうよ〜、水に浸かれば頭もスッキリするから〜♪」
「こら、抱きつ……引っ張るな……やめ……」
アズラインは無理矢理、タナトスをソファーの上から連れ出した。



その建物は、一ヶ月前に突然クリア国に建てられた。
メディア総合病院。
一ヶ月前にふらりとやってきた一人の医者が、国……王家の援助を得て建てた医療機関だ。
「ねえ、その足、本当に直す気はないの?」
この病院の院長である白衣の少女は、自分と向き合って紅茶を飲んでいる、藍青色の髪を一本の三つ編みにした少女に尋ねる。
「ええ……」
自前の揺り椅子に座って、ハーブティーに口をつけているのは、クリア国宰相エラン・フェル・オーベルだった。
「多分、簡単に直せると思うわよ」
白衣の少女メディアは、アールグレイ(ベルガモットという植物のオイルで香づけしたフレーバリーティー(着香茶))に口をつける。
「足を作り直す……取り替えるような方法でしたか……?」
「まあ、別物になるって意味ならそうかもね?」
「それならば今はこの足のままで構いません」
「そう? まあ、気が変わったらいつでも言ってね。コンタクトを入れるぐらいの簡単さでできるから」
「コンタクト?」
「ああ、そうだ。あなた、目も少し悪いんだっけ? コンタクト入れてみる? それともレーザー治療してみる? 眼科はどっちかというと専門じゃないんだけど一度やってみたかったのよね〜」
「……よく解りませんが……遠慮させてもらいます……」
「そう? 遠慮なんて全然いらないわよ。小さな診療所でも開ければいいやってつもりだったのに、こんなでかい病院建ててもらったし……」
「こちらこそ遠慮は無用です。西方の進んだ医療技術をクリアに取り入れることができることを考えれば、充分利のある出費ですので……他にも必要な物があれば遠慮なく言ってください、クリア王家は全面的にあなたをバックアップします」
エランは涼しげ……見方によっては冷たくも見える表情でそう言い切った。
「フフフッ、打算がある方がこっちも気兼ねしないで済んで良いわね。別にわたしは知識や技術を秘匿する趣味はないから、一般的な西方の最先端技術ならいくらでも教えてあげるわ、あなたが用意したスタッフ達にね」
メディアは意地悪く、そして挑戦的な微笑を浮かべる。
「……一般的なですか……なるほど……」
メディアの言葉の意味を読み解き、エランも同じような微笑を浮かべて応じた。
「例えば、ナノマシンはまだ西方でも医療技術として一般にまで普及しているわけじゃない。あくまで、リスク、副作用、法外なコスト、それら全てを無視して、わたしが個人的に自分の体に使用(試用)しているものよ。とてもじゃないけど、いろんな意味で他人に勧められるものじゃないわね、これは」
メディアは手品のように、左手に一本の血色のメスを出現させて、再び消失させてみせる。
「さてと、じゃあ、わたしはそろそろ仕事に戻らせてもらうわね、スポンサー様」
メディアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら椅子から立ち上がった。
「ええ、投資が無題にならないようにしっかりとお願いしますよ、院長」
エランは涼しげな微笑で応じる。
「任せなさい。ちゃんとあなたの思惑通りに行くようにしてあげるわ〜」
自信満々に、楽しげにそう答えると、メディアは白衣を翻して、部屋の外へと消えていった。



人の入れ替わり以外にも、大きく変化したことがあった。
居るはずの者がいなくなったことの寂しさ、新たなに加わった者への当惑以上に、タナトスにはまだ受け入れないこと。
ある意味では新たに加わった者と言えないこともないのだが……それは……。


「あら、『姉様』も泳ぎに来たの?」
アズラインのわがままで庭に建設されたプールに、無理矢理連れてこられたタナトスに声をかけたのは、白い涼しげなドレスを纏った銀髪の少女だった。
どこからどう見ても妹のクロスに見える姿をしていながら、銀髪の少女はクロスではない。
シルヴァーナ・フォン・ルーヴェ、クロスの前世にして、今はクロスの別人格とでもいえる存在である、今は亡き帝国の銀皇女だ。
クロスと違うのは、血のように赤い瞳と、身に纏う上品な雰囲気。
「やっほ〜、シルヴァーナお姉ちゃん、夏を満喫している〜?」
「ええ、御陰様で、快適に過ごさせてもらっているわ」
シルヴァーナはプールサイドに設置されたパラソルの下のテーブルとイスに座って読書を楽しんでいた。
「今日はお前……あなたの日だったか、シルヴァーナ……」
「フフフッ、お前でいいわよ、姉様。あたくしもクロスであることは変わりないんだから、あたくしだけ他人行儀に接しようとしなくていい。それに享年が十九歳、数千年前の存在と……『年上』であることも気にすることもないのよ」
「ああ、そうだったな……逆にお前に対して失礼な……お前をクロスの一部と認めない行為になってしまうな……反省する……」
タナトスは意外に、目上(年齢、地位、階級などが自分より高い者)に対する礼儀と態度は拘るというか、しっかりとしている。
殆ど無意識だが、シルヴァーナは明らかに年齢的にも身分的にも自分より上な気がして萎縮してしまうのだ。
もっとも、『敵』であった場合は話は別だが……。
「今日は『彼女』は出てこないから安心していいわ」
「…………」
そうなのだ、タナトスがいまだに受け入れきれない変化とは、クロスティーナとシルヴァーナともう一人が、『日替わり』で人格を入れ替えていることだった。
「フフフッ、姉様は本当にあの人が苦手なのね」
シルヴァーナが少し意地悪げだが悪意は感じない好意的な笑みを浮かべる。
「苦手なわけではない……ただ……」
タナトスは口ごもった。
単純に苦手なわけではないが、実際、クロスの三番目の人格が悩みの種であることは事実である。
最初など、本来のクロスとのあまりのギャップ、変動に、病気かと思い、最近できた病院に連れて行った方がいいかと思った程だった。
今では、『彼女』もシルヴァーナと同じクロスの別人格と解り、認めてはいるものの……タナトスの悩みが完全に解消されたわけではない。
「カウンセラーというか、姉様が病院行った方がいいかもね。病院が嫌なら、あたくしが話を聞いてあげてもいいけど?」
タナトスの全てを見透かしたかのように、シルヴァーナが言った。
「いや、大丈夫だ……病気ではなく、ただの個人的な悩み……心の問題だから……」
「そう……」
心の問題も精神的な病気のような気がしたが、シルヴァーナはそれ以上追求はしない。
心の深い領域に踏み込んでいい程、自分はタナトスと深い関係ではないからだ。
「でも、クロスティーナはクロスティーナで大変なのよね……姉様以上に困っている……解るでしょう?」
シルヴァーナは話題を変えるというか、少しだけズラす。
「ああ……確かに困っているだろうな……」
「お姉ちゃん達いつまで話しているの? 一緒に泳ごうよ〜♪」
プールからアズラインの脳天気な程に楽しげな声が聞こえてきた。



仕事場に籠もったルーファスは、試行錯誤を繰り返していた。
なかなか自分を納得させられる剣が、ゼノン用の剣が打ち上がらないのである。
いや、製作以前にアイディアの段階で明確なイメージが確立されていなかった。
ゼノン自身は前に持っていったのと同じ『適当』なレベルの物でいいと言っているが、ルーファスはわざわざ『適当』な物を作るつもりなどない。
目的なく作った物が結果的に、適当というかたいしたことない物になってしまったというならともかく、最初から適当を目指して作るなどできるわけがなかった。
「やはり、隕鉄か……少し物足りない気がするが……いや、逆にオリハルコンが新鮮かも……魔黒金では結局、魔極黒絶剣に辿り着くだけだ……神銀鋼で諸刃の力などあいつには相応しくない気がするし、何より二番煎じだ……」
こうして頭で考えるだけでなく、実際に何本かすでに作ってみてはいる。
ルーファスの周囲に散らばっている『元は剣だった物』達がそれだ。
折られ、砕かれ、今はもうただの残骸、金属の塵でしかない。
ルーファスは気難しい陶芸家のように、気に入らない剣を完成したその場で叩き壊し続けていた。
「せっかく作るんだ、何か斬新な! 画期的な特徴が欲しい! そうでなければ意味がない……」
「根を詰めすぎですよ、ルーファス様、少しわたしと休憩……気分転換してみませんか?」
座り込んで作業をしていたルーファスの背後に声と共に女の人影が出現する。
「また、お前か……相変わらず日付の変更と共に来やがる……」
背後を振り返るまでもなく、彼女が誰なのかはルーファスには解っていた。
規則的に、三日に一度姿を現す女。
時計を見るまでもなく、今は深夜0時丁度のはずだ。
この女は毎回、一秒たりとも遅れることなく、その時間丁度に現れるのだから……。
女の両腕が背後からルーファスを抱き締めてきた。
「一秒でも早くあなたに会いたい、一秒でも長くあなたと一緒に居たい……それだけですよ、ルーファス様」
女は、ルーファスの耳元に、熱い吐息と共に囁く。
「どうでもいいが、お前、初めて会った時と性格というか、口調が変わってないか?」
ルーファスは抱きつかれようが、熱く囁かれようが完全に無反応で、本当にどうでも良さそうに尋ねた。
「はい、今は『猫』を被ってますから〜♪」
「おい……バラしたら猫被っている意味がないだろうが……まあ、俺にはどうでもいいが……」
明るく楽しげに暴露する女に、ルーファスは呆れ果てる。
「というわけで、今日こそ可愛がって貰えると嬉しいです、ルーファス様〜」
「……どういうわけだ……?」
ルーファスは呆れた表情で女と会話を続けながらも、作業をする手は休めてはいなかった。
「とにかく、駄目だ駄目だ。お前には手を出すなとタナトスに言われているんだよ。まあ、言われなくても、俺もお前(クロス)に『だけ』は手を出したくないけどな」
「酷いです! なんでそんな意地悪言うんですか〜?」
女はうう〜っと唸るような感じで……可愛く拗ねる。
女は銀髪の少女クロスティーナ・カレン・ハイオールドの『姿』をしていた。
だが、彼女はクロスではありえない。
なぜなら、彼女は、宝石のように透き通り光り輝く不可思議な茶色の瞳を持ち、クロスの趣味では絶対に着ないであろう、血のように赤い刺繍の入った闇のように黒いドレスを纏っていたからだ。
「お前が誰だか知らないが、俺はクロスだけはごめんなんだよ」
「…………」
女は少しの間の後、小さく溜息を吐くと、ルーファスの背中から離れる。
「……クロスだって本当は……だと思うんだけどな……」
「ああん、何か言ったか?」
「ううん、なんでもないですよ。そうだ、お夜食でもお作りしますね、ルーファス様〜♪」
女はクロスなら絶対にルーファスに見せないであろう、好意に満ち溢れた明るい笑顔を浮かべていた。



「問題は彼女がルーファスを愛しているということ……」
タナトスが長い間共に育った本来のクロスはルーファスを激しく嫌っているにも関わらずだ。
「そう、クロスのためにも彼女に好きにさせるわけには……いや、だが、あれもクロスで……」
それに、本当にクロスのためになのだろうか?
ただ単に、彼女がルーファスに近づくことを……自分が嫌なだけなのでは……。
「違う! そうじゃない……」
タナトスは、まだ日も昇らない時間に、クリスタルレイクへの林道を歩いていた。
悩んだ時、泣きたい時……とにかく一人になりたい時、タナトスはいつもクリスタルレイクにやってくる。。
理由はタナトス本人にもよく解っていない、無意識に足が赴いてしまうのだ。
あの美しい湖を眺めていると心が安らぐような気がするからなのか? それとも……ルーファスと初めて出会った場所だから……?
「……ん?」
クリスタルレイクのある方向から、美しい竪琴の音色が聞こえてきた。
タナトスは音色に引き寄せられるように歩みを速めていく。
「なんて綺麗な……それに……聞き覚えがある?……いや……」
そして、夜と朝が入り交じったような薄白い紫色の美しい空がタナトスを出迎えた。
「ルルルルルルルルルルルルルルル〜♪」
竪琴の音と同調するような綺麗な鳴き声。
クリスタルレイクの湖面の中心に、一人の女性が片足で立っていた。
薄い朱色の美しい瞳と長髪は、血や炎のような激しく濃い『赤』とは違い、上品で優美な趣や味わいのある雰囲気を醸し出している。
朱色の淡い美しさを引き立てるように、彼女の着ているシャツとロングスカートは深く濃い鮮やかな赤色だった。
「ルル〜?」
タナトスに気づいたのか、赤い女性は、湖面を地面のように蹴って跳躍する。
女性はその跳躍一回でタナトスの目前まで跳んできた。
女性は先程と同じように片足で、それもつま先だけで湖面に立っている。
「日の出〜、もう一つのマジカルアワ〜♪」
「マジカル?」
女性は大人びた容姿とは対照的に、幼く可愛らしい声をしていた。
「綺麗綺麗〜♪ 一緒に見る〜♪」
女性は本当に微かな波面を起こすだけで、湖面を荒らすこともなく跳躍し、タナトスの横に立つ。
「あ? ああ……別にいいが……」
彼女の発言は主語が抜けていたが、一緒に日の出を眺めようと言っていることは解った。
「紫一瞬〜、暁〜、真っ赤真っ赤〜♪」
女性の言葉通り、日が昇り始めた空が赤く、美しく染まっていく。
「綺麗綺麗〜♪」
「なっ、おい、抱きつくな……んっ……」
「アタシ〜、アウロ〜ラ〜、アナタは〜?」
「タ、タナトス……て、どこを触って……んんっ……やめ……」
「タナトス〜、綺麗綺麗〜♪ 可愛い可愛い〜♪」
アウローラは背後からタナトスに抱きつくと、無邪気にはしゃぎながら、頬や体をすりつけて親愛の情を示していた。







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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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